Day 9 東ヨーロッパ女一人旅 ワルシャワ編①
さてさて、昨夜の事件から国が変わって、
ポーランドはあまり日本では馴染みのない国かもしれませんが、ドイツのお隣にあり、ショパンが生まれた国でもあります。
また、ロシアとドイツに挟まれていることもあり、第二次世界大戦ではヨーロッパの中で最も他国に影響された国といっても過言ではないかもしれません。
そして街並みが綺麗なことでも有名で,いろんな人の旅行記を見るととってもいい国ですよ!ととても高評価なので行く前から随分と楽しみにしていました(o^^o)
さて、昨夜は夜行バスに乗るため、バックパックを担いで電車に乗ってバス停に行こうとしていましたが、
昨夜の事件の後でさすがにちょっと一人歩きが怖すぎたのでタクシーを使いました。
夜行バスの時間まで少し時間があったので
ロビーで寛いで、フロントにタクシーを呼んでもらいました。
使用したバスは、、
Post bus というもので 21:30 ベルリン発で値段は3000円。
そこからワルシャワに着いた時間は朝の6時。
まだまだ真っ暗だったのでそのバス停からもタクシーを使ってホステルへ。
こんな時間でホステルのフロントに誰もいなくて中に入れなかったらどうしよう。野宿かなぁ。いや、凍え死ぬかなぁ。
そんなことを考えているとホステルに到着。
すると! おお!ドアが開いている!!
奇跡です! 誰かがドアのところに小石を挟んでいたのでドアは閉まっていませんでした。笑笑
小石挟んでドア開いてるって、このホステル防犯大丈夫なの?
そんなことを考えながら、ずかずかと中へ。
そうすると、わお。
フロントにいましたお兄さん。
朝方にでっかい荷物を担いで現れたアジア人の女の子が急に現れて、お兄さんの方が私のこと見てびっくりしてました。笑
「君、どこからきたの?ここに泊まるの?」
と聞かれて状況を説明しましたが、ドイツから来たの。と言っても朝方過ぎて信じてくれてない感ハンパなかった〜〜笑
でも、まだこんな暗いうちから外にいくことはできないし、とりあえず疲れたし、だけどまだチェックインももちろんできないので、
ホテルのロビーにどさっと荷物を降ろしてワイファイを使って明るくなるのをずっと待っていました。(^。^)笑
図々しいとか関係ないない。だって私今夜か
ここに泊まるんだから。笑
このホステルは街の中心から歩いて15分くらい。
Wi-Fiもさくさくだけど少しだけぽつんとしたさみしいところにありました。
でも、綺麗さは問題なし。スタッフの人もふつうに親切!
で2泊でお値段 6387円!
堂々とロビーに居座ること約4時間。
やーっと外が明るくなってきて観光できる時間帯になってきました。(o^^o)
ってことでさっそく街中へしゅっぱーつ!(^ω^)
外は寒いし午前中だしで、まだあんまり人がいない中ずんずん歩いていると見えてきたのは〜〜、、
ん〜なんだろこれ? って感じで周りより高くとっても目立つ建物。
ここは観光予定になかったけど、気になるので近くまで行って見ました。
この建物の下は広場のようになっていて、そこにはこんな銅像が。
この優しそうなおじいさんは誰ぞや??
と思い、後で調べてみると。
なんと、あのポツンと高くそびえていた建物は文化科学宮殿。 旧ソビエト連邦の指導者そしてスターリンからの贈り物らしいです。笑
どうりでどうりで、街とあんまり調和していなくてポツンと目立っていたのだなぁ、ととっても納得。笑笑
ポーランド的には取り壊すわけにもいかないだろうし、迷惑な贈り物ですね(^ω^)笑
そして優しそうなおじいさんの銅像については調べても何もでてきませんでした。残念σ^_^;
さて、てくてく歩き続けて最初に向かったとこはここ!!
ワルシャワ蜂起博物館です。
ドイツ軍に支配されてしまったワルシャワの地を奪還するために行われたワルシャワ蜂起。
ポーランドの軍隊はもちろん他の場所で戦っているわけで、、
つまりワルシャワ蜂起で戦ったのはポーランドの一般市民の人々だったのです。
そして市民が動いた背景には、ロシア軍の影響がありました。
ロシア軍は東の方からどんどん侵攻してきていて、もうすぐワルシャワというところまできていた。なので、ロシア側から 「さぁ、ワルシャワ市民!共にドイツ軍を追い払おう!!」みたいな連絡がきていたのです。
だから、市民はその蜂起の日に向けて着々と準備を開始していました。
しかしながら、奪還予定のワルシャワ蜂起の日、なんとロシア軍は動かず。
というのは、その前日あたりにドイツ軍からの思わぬ攻撃によりロシア軍は想定外の痛手をおい、ワルシャワ市民のもとに駆けつけることができなかったのです。
そのためドイツ軍に対し武器もほとんど揃っていないワルシャワ市民のみで戦うことに。
結果、街は奪還できず、ワルシャワの街はもうほんとに、粉々のぐちゃぐちゃされ、焼かれ、真っ平らにされてしまったのです。
そんな痛々しい記憶を残す、ワルシャワ蜂起博物館。
さっそく中に入ると、爆弾が落ちてくる音がどこからともなく聞こえてきて、中は暗くなっていました。
また、カレンダーがあちらこちらに置いてあるので、
ワルシャワ蜂起に向けて日にちがだんだん進み、それとともにワルシャワの状況の説明が展示されていました。
当時ドイツ軍がいかにポーランドに侵攻していたかを示す図。
ユダヤ人を管理していた紙。
ポーランドにもあったゲットー。
このようにカレンダーの日にちが進む展示になっています。
そして1番印象的だったのは、地下水道を表現した展示です。
市民の戦いは、ドイツ軍の攻撃から免れるため、そして敵を出し抜くため暗く汚い地下水道の中でも繰り広げられたのです。
ドイツ軍は、ポーランド人の存在を知って地下水道内に毒ガスを送り込みます。
そのガスから逃げ出す市民。
これに関連したものでアンジェイ•ワイダ監督の「地下水道」という映画もあります。
ワルシャワ蜂起の後、崩れた瓦礫をかき集め街を立て直そうとする市民。
うーん、やっぱり島国の日本とは異なり責められ方もあっという間で戦争に対する印象もまた違うのだろうか。
現在ドイツ人に対する印象はどうなんだろう。。。
そんなことを思いながらワルシャワ蜂起博物館を離れ次に向かったところは
ポーランドのユダヤ人歴史博物館です。
中は思っていたよりもずっとひろく、展示はユダヤ人がポーランドにくる以前、ヨーロッパのどこからやってきたのか。
という時代まで遡って始まっていました。
そしてさらに驚いたのが大きなディスプレイを使った凝った展示です。
英語が読めなかったりしても一つ一つの展示が時代ごとに区切られ、展示されているのでこれならだれでも楽しめるなぁ。と思いながらぐるぐるまわっていました!(^^)!
そしてさらに、第二次世界大戦ではないこの時代にも、ユダヤ人街というのは存在していて、ユダヤ教とキリスト教を区別するべくユダヤ人のみの街が存在していたらしいです。
このように大きな広場として表現されており、その中でユダヤ人はにんにくやあひるをよく食べることなどがドイツのユダヤ人博物館と同じように展示されていました。
時代はさらに先に進み、これはユダヤ人がポーランドから様々な国へ移り住んでいったことを示しています。
どの国にどのくらいのユダヤ人が1881年から1991年時に住んでいたかを示す表です。
時代はさらにさらに進み、これはヒトラーによりユダヤ人が支配されていた時期のユダヤ人街です。
窓にユダヤ人の証である星があるのが見えます。
「僕はポーランドで育ったユダヤ人だ。自分がユダヤ人であるか、ポーランド人であるかさえ考えたことがないほどポーランドの文化の中で育ってきた。ぼくは自分の魂の奥深くからポーランドに浸ってきたのに。」
あるポーランドで育ったユダヤ人が残した言葉です。
人種について深く考えさせられる言葉であるなぁと思いなんだか胸に刺さりました。
誰が何人なのか?はたしてそれを分けるものは何のか?誰が判断するべきなのか?
陸続きで移動が安易であるヨーロッパではかなり難しい問題だと思います。
ホロコーストの時代が始まります。
強制労働
レッテルを貼り付けること
他の人とと切り離しゲットーに住ませること
ユダヤ人の所有物の略奪
そしてもちろんアウシュビッツのことも書いてありました。
展示されているものすべてを見るのに3時間ほどの時間をかけ、ユダヤ人博物館を後にしました。
そして、もうそろそろ夕方前だし、今日は夜行で疲れたから今日は早く帰ってゆっくりしようと思いながらこの日は足早にホテルに帰ったのでした。
ワルシャワ1日目の観光終了です!!
明日は楽しみにしていた、中央の広場へいきます!!おやすみなさい( ^ω^ )
今日使ったお金
交通費 15€
食費 12€
観光費 8€
合計 35€